赤十字奉仕団の研修会

こんにちは(*^▽^*)

私たち田子町赤十字奉仕団では、9月3日(火)佐井村の「三上剛太郎の生家」を訪ねました。

 

 

三上剛太郎は、明治38年1月、日露戦争で満州に軍医として従軍していました。

極寒の仮包帯所にて負傷者の手当をしていましたが、ロシアのコサック隊の包囲されたのです

全滅の危機に瀕したそのとき、とっさに、三角巾2枚と赤い毛布を切り裂いて縫い合わせ

「赤十字旗」を作成して仮包帯所に高々と掲げました。

これを見たコサック隊は発砲攻撃を止め、立ち去ったといいます。

この三上剛太郎と手製の赤十字旗は、

”世界の宝”いのちを救った手縫いの赤十字旗として、

昭和38年にスイスのジュネーブで赤十字社100周年記念博覧会が開催された。そこで、三上剛太郎の手製の赤十字旗が展示され、これによって世界中に感動とともに広まった。

後に、イタリアでの赤十字博覧会でも展示されました。

 

現在は、日本赤十字社青森県支部正面玄関前ホールに展示されています。

 

 

 

三上剛太郎の生まれた家が佐井村で記念館として保存されています。

三上剛太郎は、代々医家である三上家8代目の長男として生まれ読売新聞記者を経て、父が他界したため医学の世界に入り医師開業免許を取得した。その後佐井村に帰村して三上医院を開業し村医となった。

日露戦争のあと、村に戻って熱心に村民の命と健康を守ったそうですが、貧しい人からは治療代の代わりに野菜とか昆布などもらったり、時には私財で医療機器を買ったり、往診に行くための船を買ったりしたとも言われます。

 

 

佐井村教育委員会職員の熱心なそして誇らしげな説明には、感動を覚えました。

 

 

みなさんは熱心に魅入っていました。

当時としては大変高価なレントゲン機器が、記念館に展示されていました。

 

 

三上剛太郎は医者としてだけでなく、1人の人間としても、「生涯勉強」といって80歳でフランス語の勉強を始め、「レ・ミゼラブル」言語で読むという少年時代の夢を叶えています。

 

最後に、生家前にて記念写真を撮りました。

 

 

 

佐井村を行く ~ 仁愛の医師 三上剛太郎を訪ねて ~

赤十字の一員として、とても感動を覚えた研修でした。

 

赤十字の基本理念は「人道」です。

 

日本赤十字社は、西南戦争が起源とされています

歴史に残る激戦地にて、多くの負傷兵を助けたい、と。

佐野常民は赤十字社の創設を新政府に求めましたが認められず

「博愛社」を創設しました。後に、赤十字に改称。

佐野常民はフランスのパリ万国博覧会に派遣されています。

日本は、大政奉還~新政府の頃

 

赤十字社誕生は、イタリアの統一戦争での激戦地で多くの負傷者救護したアンリー・デュナン。

日本は、安政の大獄~桜田門外の変頃。

 

赤十字活動のテーマは、共に生きる喜びを分かちあう赤十字奉仕団活動です。

サブテーマは、地域と連携し防災・減災を普及しょうです。

 

私は、委員長として、

今回研修会の火種を次に興して行きたいとおもいます。