スクランブル発進!
私は、自分でこう呼んでいた。
東京の大田市場まで延々600キロ、野菜を積んだトラックに乗って野菜と一緒に大田市場に運んでもらうのです。
(大田市場に移転する前は、神田の市場(秋葉原))
しかも、緊急に荷物(野菜)と一緒に運んでもらって市場に出かけるのですから、もちろん、ホテルには宿泊しません。
寝るのは、市場の土間とかに新聞紙を敷いて仮眠するだけです。
日々、市況には全神経を張り巡らしていますので、状況が手に取るように分かります。
前日から朝の状況によって直ぐ判断して、市場に向かって動くのです。
その日の10時頃には決断、お昼過ぎ頃までは決裁関係を処理し、野菜を積んだ最後のトラック便に載せてもらうのです。
私が課長時代は、野菜を積載したトラックは、毎日約10台以上が京浜市場を中心に出発していたのです。
そのため毎日が、戦争でした。
トラックには、にんにくや夏秋きゅうり、夏秋とまと、だいこん、えだまめなど積載して、
大田市場の到達時間は、概ね22時頃である。(コレには訳があるので後述する)
市場に到着した、22時頃から翌日の2時頃までが、私の戦いなのです。
心の中では、生産者は夜中も一生懸命頑張っているので、自分はそれ以上に頑張る。
生産者が24時まで頑張ったなら、自分は、生産に負けないで2時まで頑張る!という想いで、自分の仕事に誇りがありました。
だから、あの広い大田市場をくまなく夜中じゅう場内を駆け巡ることができるのです。
午前2時ころまでは歩き通しです。
足が棒のように痛い。
辛い。
もう限界・・・
と悲鳴を上げるのが、午前2時30分頃です。
それから少し仮眠して、午前4時頃からまた再び市場内を歩く始めるのです。
もちろん仮眠は、コンクリートに新聞を敷いただけ。
時には、セリ人の立つ鉄板の階段に新聞を敷いて、鞄を枕にして仮眠するのです。
下着の交換は、誰もいないところでフルチンでよく着替えました。(笑)
洗面と歯磨きは、トイレですることが多かったです。
なぜそこまでするの!?
これには深いわけがあります。
私のこだわり、私の流儀です。
生鮮野菜・青果物を出荷する多くの産地は、市場に出荷すればそれで良い。
あとは市況を聞いて対応する。
明日の出荷予想をトラック会社に連絡をとって、明日の出荷準備をして、もちろん出荷報告をして、市場状況など情報収集して、その対策を練って・・・、である。
しかし、私は
「違う!」
と。
常に日本農業新聞の野菜市況欄でトップ価格をキープしていなければ気が済まないのである。
つまり、日本一をめざして、日本一を死守する!ことへのこだわりです。
自分の仕事には、責任と誇りがある。
他産地の状態、田子の評価が、夜中にすべてが分かるからだ。
分かるまで夜通し歩き回るのだ。
きゅうりの、とまとの、えだまめの、だいこんの・・・
もちろん「にんにく」もだが、現場でなければ知り得ない「もの」を必死に探し求める。
誰も教えてはくれない。情報を盗むものだ。
それはそれは必死だった、死にものぐるいだ。
自称、日本一の仕事人!
一度、市場内に入れば戦場と化す。自分ではここが勝負の分かれ目である。と、発憤した。
自分は、日本一の仕事をするぞ!
東洋一のマンモス市場、大田市場には、全国の名だたる産地から連日出荷されてくる。
そこに立ったとき、我こそ日本一になるぞ!自分を奮い立たせた。
大型産地であったり、高品質産地であったり、北海道から九州まで、時には海外から。
そんな、大舞台で「田子町産の野菜」が日本一をめざす。自分が日本一になる。
自分は、日本一の仕事人!だと、自負していた。
だから、行動、考え方、ビジョン・・・。誰にも負けないプライドと誇りをもって仕事をした。
市場に出向いたときにはただ、
「お願いします。」
では、相手にされない。
いつ、何が、どんな商品が、どんな状態(物語)で、どのくらい出荷されるのか。
そして、どこに、どのような品揃えで、どのような価格で提供されるのか。
トップブランドには、ライバル産地の状況がすべて知り得ていなければ戦にはならない。
常に、ライバル産地の状態を知り、更に、一歩も二歩も先をいけるように、プライドと誇りがある。
それには、夜通しで歩いても時間が足りない。
そして、競りが終わって情報収集と的確な産地情報を話して、都内の店舗廻りである。
歩いて、歩いて・・・であるので、新幹線にギリギリまで調査して乗ると、汗びっしょりである。
前日に着たシャツをもって、トイレに駆け込む。
汗臭くても良い、少し乾いていれば、着替えをする。
新幹線は冷房が効いているので、汗びっしょり(絞れば滴るような)では、身体が冷えるので、いつもトイレに持参して着替えた。
なので、課内などにお土産は買う時間がないので・・・間に合わせのお土産しかできなかった。
お土産を買うために出張しているわけではないが、みんな、そうは思わなかっただろうなぁ。
生産者には直ぐ、翌日の報告会!
市場を出るときは、農協に電話して、明日生産者に報告するから、と、時間と場所を指示しておく。
すると、翌日には状況をみんなに知らせることが出来る。直すべき対応もできる。
農協がすること、生産者に直して頂きたいこと、瞬時に把握して、帰りの新幹線(昔は列車)で、まとめを記録・整理した。
そして、翌日にはしっかり生産者のみなさんに報告。農協では選果選別・・・、様々なことを修正することができる。
3日以上は天下を取らせない!
3日以上は、他産地に天下を取らせない。
必ず、取り戻す。
これが、私の信念であった。
にんにく日本一の軌跡一覧
- 昭和45年 田子町の農業維新!
- 昭和46年 農協からのお誘いが
- 昭和47年 にんにくとの出会い!
- 昭和48年 品種の統一を決断&厳しい系統選抜
- 昭和48年 東京青果へ初出荷
- 昭和50年 やったぞ、日本一を名乗る!
- スクランブル発進!私の流儀。
- 深耕