こんにちは!
にんにくの町青森県田子町では、4月23日(木)町中央公民館ホールにて、
「田子町健康宣言の日セレモニー」を開催しました。
青森県は平均寿命ランキングでワーストワン、
健康関連指標では、禁煙率、多量飲酒者数、スポーツする人の割合はともにワーストワン、
更に、肥満者率、塩分摂取量なども低い。
ちょっと要約すると、野菜を食べない、運動をしない、塩分が多い、喫煙する、多く飲酒する。という訳だ。
そこで、町では、「自分の命は自分で守る!」という合い言葉に、山本晴美町長が健康宣言を行った。
基調講演は、弘前大学大学院医学研究科長で医学博士の中路重之先生。
演題は、「みんなで健康長寿をめざそう!」
そして、町民代表の11名の方々による健康宣言です。
田子町長、副町長、教育長、議会議長・・・。私も、自治会連合会代表として健康宣言することに、
私は何を、宣言したか?というと、
「私は、早歩きで、1日30分以上、1週間に3日以上歩きます!」と宣言しました。
ちょっとハードルが高い??でも、今は何とか実行しています。(笑)
そして驚いたことに、この日突然!
壇上に上がって頑張ろうの気勢を挙げる役目をお願いされました。
緊張しつつ壇上に上がり、「みんなで健康長寿をめざして、がんばろう!!」と、右手を挙げてガッツポーズ!
会場の皆さん全員も「がんばろう!!」の気勢が上がりセレモニーは終了です。(残念ながら写真はありません)
40数年前、長野県も青森県も短命県でした。
今や長野県は長寿県に躍進、青森県は依然短命県のままです。
あれから40年・・・。
長野県はなぜ長寿??
やはり、長野県には戦略があった。
長野県は、全県民運動の展開、県民一人ひとりはもちろんあらゆる組織団体が声を上げたこと、しっかり理念とビジョンを掲げて、地域全体が盛り上がるように運動したこと。
保健補導員制度のリーダーの育成と活動、保健補導員の任期は2カ年。各家庭のお母さんが保健師並みの知識を持ったら、住民の健康度は飛躍的に伸びる狙いがあった。
保健補導員の任期は2カ年。2カ年毎に経験者OBは増え全人口の1割を占めるとか、何年も同じ人が続けている、と「広がりの停滞」生んでいる可能性もあると言う声も。
私が農協職員時代の若い頃、佐久総合病院の若月俊一先生が記憶に残っている。
若月先生は、昭和30年代、病気にならないように健康管理に取り組もうと、八千穂村で全村健康管理を開始。
地域での保健活動を始めたのは、病気を治すだけではだめだ、病気をなくす仕事もやらねばならぬという発想から健診を定期的に、しかも村ぐるみで行った。八千穂村の老人医療費は、県の平均より下がっていく。当時の厚生大臣、公衆衛生局長らが視察来院。昭和57年からの老人保健法の基礎データとなる。(JA長野厚生連佐久総合病院より)
昭和40年代、私たちの先人が長野県を学び、田子農業の礎を築いた。
かつては出稼ぎが多く、これといった特産のない町でした。長野県に学んだもの、教育活動と生産活動でした。その理念を「農業振興計画」樹立に活かした。
農家所得向上をめざして、「にんにく生産部会」が発足。生産者の意識改革とリーダー(営農指導協力員)の育成に取り組んだ。
長野県から学んだ、教育と生産活動は、後に、「にんにく日本一」の産地を生み出した。
たっこにんにく(田子農業)の源流は長野県にある、と言って過言ではない。
健康宣言した田子町!
何より、パフォーマンスで終わりではない。
健康な町づくりには、30年後40年後を見据えた戦略が必要だ。
これからが、スタート。厳しいリーダーシップが求められます。
現実を目標に建て直し、
目標に向かって出発すること。
新たに、健康な町づくり宣言。
「理念とビジョン」を明確に戦略を立てる。
健康な町づくり条例の制定も肝心。
具体的には、健康リーダーの育成に本腰を入れることが肝心だ。
正しい知識を知ってもらう健康教養と意識改革、
健康リーダーの育成、
家庭~地域へ
職場へ、
学校では健康教育へ、
全町民へ波紋を広げること、
町の政策として、
「万歩計の配布とポイント付与」によるプレゼント企画とか、
何より、楽しんでみんなが参加!
田子町の医療費が軽減されたという実績が評価され、
全国から視察が殺到する。
こんな夢のような将来ビジョンを持って良い。(笑)
目標を打ち立てる。
その戦略が肝心だ。
夢は叶う!!